フレデリック・ジョリオ・キュリー
Jean Fre´de´ric Joliot−Curie/フランス
1935年ノーベル化学賞受賞

「人工放射性元素の研究」により夫人イレーヌと共同受賞。


フレデリック・ジョリオ・キュリーはフランスの原子物理学者で,1900年パリに生まれた。パリ市立の物理化学学校に入学し,著名なランジュヴァンのもとで学び1923年卒業した。電気技師となったが,1925年にランジュヴァンの勧めでラジウム研究所のキュリー夫人の助手となり,翌年キュリー夫人の娘イレーヌと結婚した。キュリーの姓を保持して旧姓ジョリオとキュリーと合わせてジョリオ・キュリーと名乗り,以後は夫妻協力して研究に取り組み,1934年にα線による原子核破壊実験を行い,人工放射能を発見した。翌年夫妻してノーベル化学賞を受賞した。
フレデリック・ジョリオ・キュリーは1937年にコレージュ・ド・フランス教授となり,第二次世界大戦が始まるとフランス砲兵大尉としてラジウムに関する実験を担当し,原子核化学研究所所長に就任。また戦中はナチスへの抵抗運動に参加。1939年には核分裂の際に中性子が放射されることを発見した。1942年にフランス共産党に入党し,戦後は原子力庁初代長官,原子力委員会委員長,世界科学者連盟会長などをつとめたが,1950年には彼の共産主義的見解がいれられず,政府から任命されたポストから退くことになった。この間1948年には1号原子炉20E(ゾエ)をつくっている。1951年に世界平和評議会議長となり,またスターリン平和賞を受賞。1955年にはラッセル・アインシュタイン宣言に署名した。妻イレーヌが長年の放射能研究に起因する白血病によって死去した2年後の1958年に同じ疾患で没した。